軽快に跳ねる包丁がまな板を叩く音が、キッチンからリビングに小さく聞こえてくる。一緒に聞こえてくる鼻歌は最近流行りの曲のもので、タクシーで流れているラジオでよく聞こえてくる。とんとんとん、ふんふんふん。軽快なハーモニーを聴きながら、アオキはソファーに腰を下ろす。テレビの情報番組を見ながら、彼は今日の夕飯に思いを馳せる。
胃を刺激する柔らかな野菜と、少し刺激的な香り。スコヴィランのスパイスを少しだけ使っているのかもしれない。ぐう、とアオキは自分の腹が鳴ったのが聞こえて、続いてきゅう、と別の腹が鳴ったのが聞こえる。
アオキが下を見れば、そこにはオボンのみを模った大きなぬいぐるみを持ったペパーのヨクバリスがいた。アオキと目が合ったヨクバリスは、そろそろ味見しに行きませんか、と言わんばかりに足をよじ登ってくる。
「むちゃ!」
「ダメですよ、ヨクバリスさん。彼から味見をして欲しい、と言ってくるまでは待たなくては」
「むちゃり?」
「我慢してからの味見の方がより美味しいです」
「むちゃちゃ」
腹がまた盛大に鳴ったアオキに、ヨクバリスは、お前腹鳴ってますよ、と言わんばかりにぬいぐるみを口元に押し付けてくる。柔らかい毛糸でできたそれを、むいむいと押し付けられて分かったことだが、たまに噛んでいるのか、ちょっと毛羽立っているし、しっとりとしている。
ぬいぐるみをそっとヨクバリスに返却しながら、アオキはまだ呼ばれないかとそわそわする。ペパーから味見という名目で二口ほど料理を先に食わせてもらえるのが楽しみで、休みの夕方になると、アオキの腹はいつもよりも腹が減るスピードが早いのだ。
アオキが味見に行かないのがつまらないのか、ヨクバリスはアオキの隣で転がっているネッコアラの口元にぬいぐるみを押し付け始める。すやすやと眠っているネッコアラは、ぬいぐるみを押し付けられた程度では気にすることなくすやすやと眠りこけている。仲がいい二匹を見ていると、ペパーの声がリビングに投げかけられる。
「味見したいちゃんはどこですか」
「ここです」
「むっちゃー!」
「しかたねぇなあ」
二口までな。そう笑いながら呼びかけるペパーに、アオキはヨクバリスを抱き上げて近寄る。ぱたぱたとスリッパを鳴らして近寄れば、深みのある香りが漂ってくる。
スープとピラフが作られている途中の鍋やフライパンから、それぞれスプーンで一口分掬い取ったペパーは、二人の口に放り込む。
「むっちゃあ」
「うまいです」
「それはよかったぜ。……もう一口欲しい腹ペコちゃんはどこですか」
「ここにいます」
「むっちゃー!」
「返事早すぎちゃんだろ」
揃った返事をするアオキとヨクバリスに苦笑しながら、ペパーはもう一口分スプーンで掬うと口まで運んでやる。揃って口を開けて待っているものだから、種族が違うはずなのに親子のように見える。
腹ペコ親子め、と言いながら味見させたペパーは、後は完成してからのお楽しみ、とアオキとヨクバリスをキッチンから追い出す。追い出されましたね、と言いながらリビングにすごすご戻っていく彼らは満足そうだ。
情報番組はいつの間にか天気予報に変わっており、明日の天気が晴れだと告げている。ナッペ山が近くにあるのもあって、チャンプルタウンは晴れていても少し寒いくらいで、天気予報もそう伝えている。
最近は仕事と業務のバトルばかりで、手持ちたちをウォッシュしていなかったことに思い至ったアオキは、明日はピクニックに出てもいいかもしれないと考える。どうせピクニックをするなら、ペパーも誘えば美味しいサンドイッチにありつける。彼も手持ちをウォッシュしたいかもしれない。そうでなくても、たまの休みに一緒に出かけようと誘えば、一も二もなく喜んでくれる彼だから、悪い誘いではないはずだ。
思考の海に沈みかけていると、うぉん、と犬ポケモンの鳴き声に呼び戻される。この家の犬ポケモンと言えば、おやぶんポケモンのマフィティフしかいない。理知的な彼の鳴き声でポケモンたちが食事の時間だと気がついたようにそわそわとし始める。お手伝いが好きなリククラゲに至っては、自分たちの皿を用意しはじめている。
リククラゲが用意した、それぞれの皿にポケモン用の食事を入れてやるペパー。いつも同じポケモンフーズじゃ飽きるだろ、と暇があれば手料理をポケモンにも振る舞う彼に、勤勉だな、とアオキは思う。そして、少しずつ慣らしたおかげか、いつの間にかアオキだけではなく彼の手持ちポケモンたちも、ペパーの手料理に胃袋を掴まれているのか、フーズの日は分かりやすく落ち込むほどだ。
ダイニングテーブルにでん、と置かれたチリコンカンスープにピラフ。アオキの分は大盛りになっているが、おかわりも十分にあるのはキッチンを見れば明らかだ。野菜も肉もしっかりと摂れるメニューを作ってくれる彼に、愛しさと感謝が募る。
向かい合わせに座り、アオキはペパーに頭を下げる。
「いつもありがとうございます」
「いいってことよ! 冷めちまう前に食べようぜ」
「ええ。いただきます」
手を合わせて食前の挨拶をした二人は、揃ってスプーンわ取り上げる。食べやすい大きさに切り分けられた肉と野菜を、赤いスープごと口の中に入れれば、ぴりっとした辛さが舌の上を通り抜ける。食欲を刺激する程よい辛さに導かれるまま、ピラフを口に入れる。進む食欲のままピラフを口にいれつつ、じゃがいもと玉ねぎの炒め物で箸休めをして水を飲む。いくらでも食べられそうだ。
「いくらでも食べられそうです」
「それはよかった! おかわりはたくさんあるから、遠慮しないで食べてくれよな」
「ええ、では遠慮せずにおかわりをいただきます」
もっもっ、とスープとピラフをよく噛んで胃に収めるが、あっという間に大盛りのピラフは皿の上から消えてしまう。相変わらずの食べっぷりのよさに、ペパーは作り甲斐がある人を見つけられてよかった、と満面の笑みで向かいに座る男を見つめるのだった。