ヤマブキシティの舗装された道をアオキとペパーは歩いていく。ビジネス街とも言えるヤマブキシティの街並みは、大きなビルが建ち並んでいて、ハッコウシティのように人で賑わっている。
聞き覚えのあるグローバルな会社の本社を横切ったり、ジョウト地方コガネシティとヤマブキシティをつなぐリニアの駅を見ては、あれはチリさんの故郷に繋がってます、と説明を受けたりしながら歩いていく。
「なあ、あれって誰でも乗れるのか?」
「昔は定期券がないと乗れないはずでしたが……今は変わっていると思います。駅員に確認してみましょう」
「ん、わかった。アオキさんの実家はどっちなんだ?」
「こちらです」
がらがらがらとキャリーケースを引きながら、二人は歩いていく。ビル群から一つ内側に入れば、そこに広がっているのは住宅街だ。どこでも一つ入れば住宅街になるんだな、とペパーが思っていると、アオキは腹減りましたね、とコンビニエンスストア――パルデア地方でも見かける、世界規模で展開している店の前で足を止めている。
「家に着いたら、何か食べられるかもしれないちゃんだぜ?」
「そうなんですが……本当に行くんですか?」
「ここまで来て尻込みちゃんか?」
「いえ……その、別に今まで来なかったのですから、別に今もやはり……」
「オレはちゃんとアオキさんのご両親に会いたいんだよ。ダメか?」
「どうしてもですか……」
「どうしても! うちの親はもう会えないからさ」
それに、と続いた言葉に、アオキは分かりました、と諦めてコンビニエンスストアの前から足を動かす。
アオキさんのお父さんたちを驚かせたいんだよ、と笑った彼にアオキは、確かに驚くだろうなと思う。なにせ、この青年が幼少のときの数ヶ月を遊んだのがきっかけで、こうして人生の一番近い場所にいるなんて、まるで漫画の世界だ。
左折してコンクリートブロック塀が途切れる。常緑樹の生垣の隙間から、ガーディが伏せているのが見える。伏せていたガーディは、人の気配に気がついたのか、もぞりと動くと玄関の前まで歩いてくる。
がうがう、と鳴いたこいぬポケモンの首を、方膝をついてアオキは撫でる。この家の人間の関係者だと理解したガーディは、鳴くのをやめてペパーを見る。ぐるぐると喉を鳴らしていたガーディの鼻先に、ゆっくりと手を伸ばすペパー。すんすんと伸びてきた手を嗅いだガーディは、その手をぺろ、と舐める。警戒されていないことを理解したペパーは、そっとその首をかいてやる。小さい時にオラチフにしたように、ゆっくりと、優しく。やわらかに撫でられる手に満足したらしく、ガーディはぺろぺろとペパーの手を舐める。
わずかな触れ合いでガーディの警戒を解いた腕前に感嘆しながら、アオキは実家のインターフォンを鳴らす。びー、と鳴ってから少ししてどちらさま、と女性の声が帰ってくる。アオキです、と返事をすると今開けるわよ、と告げられて通話が切られる。
扉をガチャリ、とあけたふくよかな中年女性は、あらあらあら、と大きな声をあげる。
『やだもぉ! うちのガーちゃんがもう懐いてる!』
『凄いですよね、懐きました』
『この子、家の人以外には懐かないのよぉ。ほらほら、二人とも入って入って!』
「ペパーくん、どうぞ」
「わかった。えっと、『お、じゃまします』」
かたことの、発音が少し怪しいカントー地方の言葉を操りながら、ペパーは女性とアオキに続いて玄関にあがる。しれっと庭先にいたガーディもついてくる。
アオキが靴を脱いで鍵をかける。靴を端に寄せる彼の真似をして、ペパーも脱いだ靴をアオキの靴の隣に並べる。自宅ではアオキに倣って靴を脱いで生活をしているが、こうして誰もが靴を脱いで並べているのを見るのは初めてで、ペパーは少しそわそわしてしまう。本当に彼の実家にきたのだ、と。
リビングまで荷物を運び、部屋の隅にリュックサックとキャリーケースを置く。部屋にいた女性と、老齢の男性、壮年の男女は興味津々にペパーを見ている。ペパーが居心地の悪さを覚えていると、アオキはキャリーケースの上に乗せていた紙袋を案内してくれた女性に渡す。
『母さん、土産』
『あらあら、クッキー?』
『ボウルタウンのジムリーダー、芸術家のコルサさんなんですよ。その人の作品を模ったクッキーです』
『あらあら! 素敵じゃないの!』
『母さん、それでコーヒー淹れよ。アオキ、その子はコーヒー飲める?』
『カフェオレでお願いします』
『ん、わかった』
ぽんぽんと飛び交う異国の言葉たちに、ペパーはなんの話をしているのか、とアオキの袖を引っ張って尋ねる。飲み物の話ですよ、と簡潔に伝えてから、アオキはローテーブルの端を陣取り、その隣に座るようにペパーにジェスチャーする。
アオキの隣に座ったペパーの膝の上に、庭にいたガーディが座りにくる。ペパーにべったりとくっついているこいぬポケモンは、今にも腹を見せそうな勢いだ。
かたかたと震えたペパーのモンスターボールから、二匹のポケモンが外に出る。ヨクバリスとマフィティフだ。二匹が出てきた瞬間、ぐるぐると喉を鳴らして威嚇するガーディに、こいつは俺の相棒な、とペパーはマフィティフを紹介する。マフィティフには、この家のガーディだとさ、といえば、二匹は互いの匂いを嗅いでから少し距離を置いておすわりをする。ヨクバリスはガーディの威嚇の声など聞こえていないのか、人懐っこく――もしかしなくても、アオキが持ち込んだクッキー目当てにアオキの母親の足元にまとわりついている。
まとわりついていたヨクバリスを剥がして、カントーの言葉で謝ると、かわいいポケモンじゃない、と女性は笑う。ヨクバリスを抱えてペパーがアオキの隣に戻ると、見たことないポケモンだ、と自己紹介もそこそこにアオミと名乗った女性がマフィティフに近寄る。撫でてもいいか、とペパーにカントー語で尋ねてくる彼女に、ええと、とペパーが何を話しかけられたのかを理解しようと、スマホロトムの翻訳アプリを起動させる。スマホロトムのマイクを向ければ、意味していることが伝わったらしく、女性がもう一度同じ内容を伝えてくれる。
「オーケーロトム。この人、触ってもいいか? マフィティフ」
「ばう」
「ロトム、通訳してくれ。触っていいぜ、って」
「『触っていい』ロト!」
『ありがとう、ロトム』
そっと首の下を撫でる手に、マフィティフは機嫌良さそうに尻尾をゆっくりと振る。大人しいんだね、と感心した様子の彼女に、アオキが勝負好きだそうですよ、と告げれば、そうなの、と驚く女性。こんなに大人しいのに、とアオキと彼女が話していると、中年女性が戻ってくる。トレイにコーヒーとカフェオレを乗せて戻ってきた彼女は、はいはい、とそれぞれの前に飲み物を用意し、テーブルの中央にクッキーを置く。
『やだわあ、自己紹介も忘れてたわあ。私はトモミ。気兼ねなくお母さんって呼んでちょうだいな』
『って、お母さん。カントー語じゃ通じなくない?』
『あらやだ。それもそうね!』
「ペパーさん。今のカントー語は大丈夫でしたか?」
「ん? ええと、トモミ、さんなのは分かったぜ。そのあとは、ちょっと難しくて分からなかったけど……」
『名前は伝わったそうですよ』
『ついでにお母さんって呼んで、って伝えてちょうだいな』
『はあ……「母が、お母さんと呼んでくれ、と……嫌でしたら、そのまま名前で呼んでください」伝えましたよ』
「いいのか?」
「本人がそう言っていますので……」
「じゃあ……お母さん……」
『パルデア語のお母さん、ってどんな発音だったかしら! やだあ、語学学校通うべきだったわ! で、アオキ、ちゃんと伝えてくれた?』
『伝えましたし、今言ってましたよ「お母さん」と』
『伝わって何よりだわ!』
あ、これシンオウの物産展で買ってきた羊羹ね。うきうきしながらトモミは森の羊羹を切り分けると、フォークとともにそれぞれの前に小皿をコトンと置く。ユウイチ、と名乗ったアオキの父と兄のオウミ、姉のアオミ、とペパーは小さく確認口の中でつぶやきながら羊羹を口に入れる。
豆を甘く、柔らかく煮込んで作られている羊羹はとても甘いが、パルデアで食べられるものとは甘さの種類が違う。そうアオキは思っている。アオキは一口分の甘いそれを口に放り込み、緑茶が飲みたい、と口から要望をこぼす。自分で淹れなさいとトモミに叱られ、アオキは無言でコーヒーを啜る。自分で淹れるのが億劫だったのだろう。
ペパーは口に入れた羊羹を咀嚼して、少し難しい顔をする。口に合わなかったか、と誰もが思っていたが、嚥下してからアオキに早口でまくしたてる。
「すげえうまい! びっくりした!」
「口にあったようで何よりです」
「甘いのに、しつこくなくてさ。これ、グリーンティーと一緒に食ったら凄いうまいんだろうなあ……」
「そうですね」
「これ、パルデアでも買えるのかな」
「どうでしょうか……ハッコウシティあたりなら、アンテナショップがあると思いますが……ああ、チャンプルタウンでも、異国の食材を取り扱うショップはありますし、あると思います」
「よし、戻ったらさっそく探してみるか」
お取り寄せしたほうが早いのではないか、と思いながらもアオキはそれを口に出さない。楽しそうにしているペパーに水を指したくなかったからでもあるが、家族中から口にあったのか、と質問攻めにされたからでもある。
一通り質問攻めから開放されると、アオキはぐったりした様子で投げやりのキマワリを模したクッキーをかじる。バターがしっかり使われた、素朴ながら優しい味わいのクッキーだ。ヨクバリスとマフィティフに小さく切り分けた羊羹をわけているペパーの耳に、びー、とインターホンの音が飛び込んでくる。
伏せていたガーディが立ち上がり、がるがると玄関にむかうと同時に、トモミがきたわね、と楽しそうにいそいそと玄関に向かう。それを不思議そうにアオキとペパーが見送っていると、オウミがえー……と実に言いにくそうに口を開く。
『アオキ、ペパーくんは食べるほうかい』
『まあ、自分ほどではありませんが。年ごろの男の子なので食べる方ではないでしょうか』
『それならよかった。いや、その、母さんがたくさん料理を用意していたものだから……』
『母さんが一番楽しみにしていたからな』
『そうだねえ、父さん。なんせ、この間ちょっとしたパーティをしたから……』
フライドチキンに刺身に赤飯に、トドメにケーキが並んだダイニングテーブルを思い出して、遠い目をするオウミに、だから言いたくなかったのだ、と無表情にでかでかと描くアオキ。それが面白いのか、アオミはくすくす笑いながら、食べられないものってないよね、とスマホロトムの翻訳アプリでペパーに尋ねる。ペパーはそれに頷いて答える。
大きな寿司桶を抱えて戻ってくるトモミ。彼女が抱えている二つの桶にアオキは取り過ぎではないか、と少し遠い目をする。ペパーがあれが本場の寿司か、とパルデアの庶民にお馴染みの寿司とは違う入れ物に入ったそれを、きらきらとした目で見つめている。
「オレ、本場の寿司食べたことないんだけど、大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。家の中なので、食べ方を気にする必要もないですから。心配でしたら、自分のマネをしてください」
「そっか。アオキさんの食べ方をマネしておけば、問題ないな!」
ほっとした様子のペパーに癒やされながら、アオキはきっとまだこの母のことだからいろいろ頼んでいるんだろうな、と検討をつける。そんなことを思っていると、父が朝から色々と頼んでいたぞ、と案の定告げ口をしてくる。トモミがだって楽しみだったのよ、とぼむぼむとコーヒーを飲むユウイチの肩を叩く。ぼむぼむ叩かれるがままの父親は気にもしないが、寿司は早く冷蔵庫にしまってこい、とコーヒーのおかわりを取るために立ち上がる。
あらあらそうね、と冷蔵庫に寿司桶をいれたトモミに、オレも料理かなにか手伝ったほうがいいかな、とペパーはそわそわする。落ち着かない様子の彼に、君はもてなされるのに慣れたほうがいいですね、とアオキはとりあえずペパーの膝の上にネッコアラを呼び出して乗せることにした。