イキリンコたちが運ぶカーゴに揺られながら、アオキは昼休み中に聞こえた会話を思い返していた。それは、今日が遠い地では愛妻の日という語呂合わせのイベントがある、というものだった。
今までであればどうでもいいことであったのだが、年下の――随分歳の差がある恋人ができてからはそういった語呂合わせの日であっても気にかけてしまう。まだ結婚どころかプロポーズだってしていないのだが。
妻、と言っていいのかは分からないが、夜は女役を受け入れてくれているのだから、間違いではないだろう、と思いながら、アオキはポケモンセンター前でそらをとぶタクシーから降りる。チャンプルタウンの自宅に戻ろうと歩いていると、新装開店したばかりの店が見えてくる。ちら、と見ればどうやらフラワーショップのようで、軒先には目にも鮮やかな花々が置かれている。
(花、か……)
アオキはフラワーショップの前でアオキは足を止める。色とりどりの花は、どれも自分は素敵だろうと言わんばかりの表情をしている。
どれがどういう花なのかもさっぱり分からないアオキだったが、どうせ異国の『愛妻の日』にかこつけて花を買って贈るのはいいことだろう。愛情表現はいくらしてもしたりないのだから。ましてや、そういった愛情表現を今まで受けてこなかった子が相手であるのならば。
軒先で花を見ていたサラリーマンに気がついたらしい店員が、いらっしゃいませ、と明るい声で話しかけてくる。
「気になるお花、ありましたか?」
「ああ……いえ、その、自分は花には疎いものですから……ただ、贈られたら嬉しいだろうかと」
「誰かへの贈り物、とかですか?」
「ええ。恋人に」
「まあ! それは素敵ですね! どのような方ですか? よければ、一緒に考えますよ!」
「それはとても助かります……」
店員に招かれるがままに店内に入る。むせかえるほどではないが、花特有の甘く華やかな香りがアオキの鼻腔をくすぐる。
あちらこちらに置かれている大小様々な花たちに、アオキは退社をする職員への慰労の花束ぐらいしか見た記憶が無いことを思い出す。我ながらあまりにも彩りとは無縁な人生を送っていることに、乾いた笑みすら浮かびそうになるが、虚無を宿した表情筋はぴくりとも動かない。
そんなことなどつゆ知らない店員は、小さなメモ帳とペンを片手にアオキに尋ねてくる。
「どのような恋人さんですか? 好みとか……イメージとかでもいいですよ!」
「はぁ……どのような……」
「料理が好き、とか、好んできているお召し物は赤色だとか……」
「ああ。料理は得意な方です。あとは……マフィティフを相棒にしていて……植物というとスコヴィランも連れていますね……」
「マフィティフ……スコヴィラン……でしたら、こちらのプリムラなどはどうでしょう?」
そう言って店員が差し出したのは黒みがかった紫色のプリムラだった。たしかにどことなくマフィティフを連想させる色味のそれに、アオキはほう、と顎を撫でる。落ち着きのある色合いは、たしかに彼の相棒を想起させる。店員はこちらの花と組み合わせて……といくつかの花を選んで簡単に束を作る。それがなんとも華やかで、アオキは美しいと思うと同時に店員にそれで花束をつくって欲しいと依頼していた。
◇◆◇
「ただいま帰りました」
「おかえりちゃん。……って、どうしたんだ、その花」
「ああ……これは、あなたにと」
「……オレに?」
きょとんとしているペパーに、アオキは抱えていた大きくはない花束を渡す。紫色のプリムラを中心に、赤い花と白い草花を添えられた小さなそれを受け取ったペパーは、不思議そうな顔をしている。彼からすれば何の日でもない日、そんな日に花束を渡されれば不思議な顔もするだろう。そんな彼に、今日は異国の地では愛妻の日だそうです、とアオキは答えを言う。
「あい、さいのひ」
「ええ。プロポーズは近いうちにさせていただく予定ですが、問題ないでしょうか」
「え?」
「プロポーズは近いうちにさせていただく予定ですが、問題ないでしょうか」
「あ、ああ、うん……え、プロポーズ?」
「はい。あなたがもし、大怪我をした時に、恋人というラベルだけではそばに居られないこともありますから」
ロマンチックなプロポーズは準備できないと思いますが、受け取ってもらえれば幸いです。
そう告げてきた男の顔を、ペパーは真っ直ぐに見られない。顔を俯け、渡された花束を抱きしめて、耳まで真っ赤にした彼は、ひとつ頷いてからキッチンに駆け戻っていく。去り際の一言は、シチューを火にかけっぱなしだった。
しかし、アオキは知っている。彼が出迎えてくれる時は、必ず火は止めてきていることに。だから、これは恥ずかしがっての逃亡だと分かっていた。
カントー式の生活をしているアオキたちは、靴を玄関先で脱ぐ。革靴に吸湿剤を詰めてシューボックスに靴を入れたアオキは寝室に向かう。スーツをハンガーにかけて、キッチンに逃亡していった恋人を、リラックスした格好で追いかけるためだった。