title by scald(http://striper999.web.fc2.com/)
ジムで小一時間ほど運動し、汗を流したヴィンチェンツォは、大浴場でで足を伸ばしていた。普段自宅の浴槽では伸ばせないものだから、ここぞとばかりに伸ばしてリラックス中だ。
友人でもある水野の姿は見えないが、きっとこの時期は繁忙期なのだろう。無理をしない程度に頑張ってほしい、と思いながら、ヴィンチェンツォは浴槽から出るとタオルで水気を拭う。
ロッカールームで着替えていると、よう、と後ろから声をかけられる。後ろを振り返れば、そこにいたのは田辺だった。健康のため、と時々体を動かしにくる彼は、人懐っこい笑顔を浮かべて、今から帰るのか、と尋ねてくる。
「そうだね。そろそろ帰って、夕飯の準備さ」
「そいつは大変だなあ。俺は今から体を動かして夕飯にサラダを食べるよ。明日、健康診断でさ」
「付け焼き刃のサラダは役に立たないと思うけどなあ。普段からちゃんとバランスよく食べないとね」
「耳が痛いなあ」
「私は今年も健康だったよ」
「俺も今年は視力以外で指摘されたくないなあ」
苦笑いしながら、田辺は服を着替える。そういえば、と口を開いた彼は、駅の方でダイヤがどうこうって言っていたぞ、と教えてくれる。
「ヴィンスの帰る方向じゃないけど、人身事故があったらしいからさ。もしかしたら、お前の彼女さん、帰るの遅くなるかもしれないな」
「そうなのかい? あとでスマホを確認してみるよ。ありがとう、教えてくれて助かるよ」
「いいってことさ。ああ、でも、なんかくる途中で工事中の看板があったんだよなあ」
「工事? そっちの方が気になるなあ。バスの時間に直接引っかかるし」
「なんだっけな……片側交互通行になっていたような? 橋の補修工事しているみたいだったな」
「なるほどね。グラッツェ、助かったよ」
「まあ、彼女さんがその道を使うかは知らないけどな!」
からからと笑いながら、田辺はロッカールームを後にする。着替えを終えたヴィンチェンツォもら、ロッカーの鍵を返却してジムを後にすると、ちょうどスマートフォンが振動する。画面を点灯させると、メッセージアプリに絢瀬からの連絡が来ていた。
内容といえば、バスが途中から交互通行で遅くなったために帰宅時間がずれそうだ、というもので、先程聞いた田辺の話が脳裏に再生される。片側交互通行ならば、帰宅ラッシュに鉢合わせてしまう時間帯だと絶望的な状態だろう。
だいぶ遅れそうだな、と予想したヴィンチェンツォは、いつものスーパーまでどのくらいか尋ねる。まだ時間がかかるようなら、先に帰宅しようと思ってのことだ。絢瀬とて、ヴィンチェンツォを無駄に時間を潰させるのは本意ではないだろう。そう思っての判断だ。
返信はすぐにきて、あと三駅ほどだがだいぶ混んでいる、と返ってくる。先に帰っていていいわよ、と続いた内容に、ヴィンチェンツォは三駅なら夕飯の買い出ししているうちに着きそうだよ、と返す。今ジムから出たところだから、と付け加えると、ごめん寝姿の猫のスタンプが送られてくる。
気にしなくてもいいのに、と思いながら、ヴィンチェンツォは胸の内が温かくなるのを感じる。大変な目にあったアヤセにはご褒美だよ、とヴィンチェンツォはメッセージを送ると、行きつけのスーパーに向かって足を動かす。
ジムからスーパーまではそこそこの距離があるが、のんびりと歩いていれば、絢瀬の乗ったバスもスーパーに着く頃だろう。今日は天気もいいのだから、そんなに急いで歩く必要もない。
「ジムで走ったけども、散歩も大事な有酸素運動だもんね」
のんびりと独り言ながら、ヴィンチェンツォはスーパーに向かって歩いて行く。その時、後ろから声をかけられる。
誰だろうと思って振り返ると、行きつけのケーキ屋の婦人がそこに立っていた。日本人女性にしても小柄でほっそりとした彼女は、眩しそうにヴィンチェンツォを見上げながら、ヴィンスくんも買物なの、と尋ねてくる。
「そうなんだよ。今ジムの帰りでね、今日の夕飯を買いに行くところなんだ」
「あらあ、健康的ねえ。もうムキムキなのに、まだムキムキになるの?」
「この筋肉を維持するためにも、定期的に通っているんだ。それに、運動するのはいいことだしね」
「そうねえ。私もリングフィット、そろそろ再開しなきゃいけないわねえ……」
「そういや、アヤセも最近リングフィットしてないな……夕飯の時に聞いてみようかな」
「ふふ。仲良しねえ。ああ、そうだ。ヴィンスくんのところは、今日は何にするの?」
私のところ、まだ決まってないのよね。
そう告げた婦人に、私も考えてないんだよ、とヴィンチェンツォは答える。運動したから鶏肉にしたいけど、昨日唐揚げにしたから今日は魚かな、と頭をかいている彼に、魚もいいわね、とにこにこと返事をする婦人。
唐揚げにしようかしら、と頬に手を添える彼女に、ハーブの唐揚げの素とか面白いと思うよ、とヴィンチェンツォは朗らかに教えるのだった。