麦茶をタンブラーに注いだ絢瀬は、冷蔵庫の扉を閉じてリビングに向かう。ソファーの背中越しに見える大きな背中に近寄り、後ろからその手元を覗き込む。ヴィンチェンツォの大きな手のひらにすっぽり収まっているのは、カップアイスだった。表面になにかかけたのか、てらてらと光っている。それはウィスキーらしく、ローテーブルの上にウィスキーの小瓶が封を切った状態で置かれている。
膝の上に料理雑誌が広げられた状態で載せられており、彼が夕飯の内容を決めているのかもしれない。
「あら、おいしそうなものを食べているわね?」
「ばれてしまったね。君も食べるかい?」
「このあと、車を運転するかもしれないから辞めておくわ」
ウィスキーのかかったバニラアイスをスプーンで掬っているヴィンチェンツォの隣に座った絢瀬は、夏が近づいてきていることを察する。暑くなるほどに、隣で座る男の食べるアイスの量が増えていくのだ。といっても、冬は冬でこたつに入りながらアイスを食べる男なので、年間を通じてアイスクリームは専用の冷凍庫に冷やされているのだけれども。
無骨な太い指先がバニラアイスを掬ったスプーンを持っているのを見ながら、それはハイボール用に買ったウィスキーじゃなかったか、と絢瀬は気がつく。炭酸水のボトルにそのままウィスキーをぶちこんで作った手軽なハイボールがここ最近のヴィンチェンツォのお気に入りだったはずだ。まあ絢瀬の酒ではないので好きにすればいいか、と思いながら、梅雨のじめじめした空気は何年経っても慣れないね、とバニラアイスを一息に食べるヴィンチェンツォ。
「それはわかるわね。暑いだけならいいのに、じめじめしているとやる気も起きないわ」
「そうなんだよね。やっぱりこう、さっぱりしたものが欲しくなるな……」
「今アイス食べてるじゃない」
「アイスもいいんだけど、もっとこうさっぱりした……そういえば、アイスボックスにお酒淹れて飲むのが前に流行っていたような気がするな……」
「ああ、聞いたことがあるわね」
「おいしいのかな。缶チューハイとアイスボックスは別々で食べたほうがおいしいような気がするけれども」
「組み合わせ次第じゃないかしら」
定番のレモンならおいしいんじゃないかしら。
麦茶を飲みながら絢瀬は興味なさそうにつぶやく。そもそも、絢瀬はそこまで酒が好きなわけでもなければ、氷菓が好きなわけでもないのだ。そうだねえ、とヴィンチェンツォもあごひげを撫でながら、また一口アイスを食べる。隣に座る絢瀬の細い腰をアイスを持っていない手で撫でながら、ヴィンチェンツォはさっぱりしたメニューがいいよね、と時計を見ながらつぶやく。
「ん? ええ、そうね」
「なにがいいかなあ。タコの酢の物?」
「あれが食べたいわ。前に作ってくれた、サバのムニエル。レモンの香りがしたあれ、好きよ」
「ああ、バタームニエルか。最近は肉ばっかりだったから、魚もいいよね」
「メインは決まったわね?」
「決まったね。じゃあ、これもどうかな」
膝の上に広げていた雑誌を指差すヴィンチェンツォ。そこには、小松菜とえのき茸の梅煮が写っていた。さっぱりしているわね、と絢瀬はうなずく。
「暑いと君がなかなか食べなくなるからね」
「夏バテってやつだわ。冷たいものばかりを飲んでしまうせいね」
「そうなのかい? 常温のものをよく飲んでいるじゃないか」
「暑いと食が細くなるのよ」
「適当に言っているね?」
「あら、ばれたかしら」
「でも、暑いと実際なかなか食べる気は失せちゃうからね。気持ちはとても良くわかるよ」
私だって暑い日は何も食べたくないって思うもの。
食べきったカップアイスをローテーブルにおいて、ヴィンチェンツォはウィスキーのキャップを閉める。手が冷たくなっちゃった、といたずらっ子のように絢瀬の白い頬に手を伸ばす。本当ね、と自分の頬を包みに来た手に、ほっそりとした白い手を添えながら、絢瀬は笑う。
「あなたもアイスばっかり食べてちゃだめよ?」
「もちろんさ。アイスを食べた日は、ちゃんとご飯を食べるって決めているからね」
「あら、そんなこと決めているだなんて、初めて聞いたわね」
「ちゃんと食べてこそのドルチェットさ」
ちょっとしたご褒美なんだから、そのところはきちんとしないとね。
ヴィンチェンツォは絢瀬の唇を奪ってから、冷蔵庫に向かう。唇に自分より低い温度の唇が触れた絢瀬は、バニラアイスにウィスキーは意外と合うな、と唇に残った甘く苦い感覚を舌で舐めて拭った。