たまには温泉気分になろうよ、と雄大が入れた乳白色の入浴剤がよく溶けた湯に浸かりながら、晶は自分の手を見る。日に焼けた浅黒い、変わり映えのしない手だ。
幼い時から晶は女子の中では抜きん出て体格が良かった。母の胎内に柔らかさを置いてきたのか、と親戚から揶揄されるほどで、その都度に母がそんなことを言われるために産んだわけではない、と激昂していたのをよく覚えている。
……晶としては、実際年の離れた妹・澪の方が、背もほどほどに低く、曲線美のかわいらしさを活かした性格をしているのだから、母の胎に自分が置いてきただろうものは有効活用されているから気にもしていないのだが。
女性にしては無骨で大きな手を見て、乳白色に濁った湯船に埋まる体を見る。広い肩幅に、柔らかい脂肪よりも筋肉のついた胸板。腹は割れて、我ながらそれなりの筋肉があるのは誇らしさすらある。
百八十を超える身体は、女性らしい丸みとは無縁である。無難な黒色が多いから、と選ぶ男性向けの服のせいもあるのだろうが、後ろ姿や遠目からだと男性に間違えられる。それを気に病んだことはない。
とはいえ、長続きはしなかったとはいえ、男女問わず付き合ってきた中で、彼女への賛辞はだいたいが格好いい、というものだった。だからこそ、巣鴨の忌憚のない可愛いと言う言葉が不思議で仕方がない。
「その言葉は、雄大の方が当てはまるのでは……」
十分に体を温めた彼女は、湯船から立ち上がる。ふかふかのバスタオルで体についた水滴を拭うと、短い髪をタオルドライする。ほとんど乾かす必要もないほど短く切った髪の水分を切ると、寝巻きがわりのジャージに着替える。
そのままリビングに向かうと、また髪の毛乾かしてない、と巣鴨がヘアドライヤー片手に近寄ってくる。乾かすほど長くない、と言おうとしても風邪ひいちゃう、と言いながら晶を座らせる手に従って口をつぐんでしまう。
イオンがどうのこうの、と高性能らしい巣鴨が実家から持ってきたドライヤーの風量に煽られ、晶の短い髪が乾いていく。あっという間に乾いた髪に満足した巣鴨はドライヤーを片付ける。
「短くてもきちんと乾かしておくと、明日が楽だよ」
「そんなものか」
「そうだよお。晶ちゃんはかっこいいしね!」
「そうか」
「うんうん。あ、でも俺に乾かさせてくれるのは可愛いと思うよ!」
「そんなものか」
巣鴨から見た可愛いの基準に不思議に思いながら、晶は形のいい丸い頭に手を乗せる。そのままわしゃわしゃとかき混ぜると、頭撫でるの好きだよねえ、とされるがままの巣鴨は気持ちよさそうに笑う。
頭を撫でながら、かっこいいの件だが、と今朝方言われたことを晶は口にする。それを聞いた巣鴨が、ん、と一瞬思い出す顔をしてから、ああ、と頷く。すっかり忘れていたらしい。
「かっこいい、ね。晶ちゃんの基準が見えたとか?」
「見えた、と言うほどではないが。まあ、好ましいで止まらずにきちんと分類したのなら、と前置きがついてもいいなら、ある程度は」
「いいよ、いいよ。気になるなあ」
わくわくした顔で見てくる巣鴨に、じっと目線を合わせる。今日一日の出来事と、今までの出来事を思い返しながら、好ましいから分岐させたかっこいいの出来事を舌に乗せる。
「まずは嫌いなものでもまずは食べようとする姿勢、妊婦やベビーカーを運ぶ母親に困ってないか声をかけるところ。たとえ断られても、嫌味のない笑顔で離れられるところ。悪口を言わないところ、それでいて好きなことをストレートに言うところ。嫌いなものは少し湾曲して言うところ」
「んんっ……! 真正面から褒められるとめちゃくちゃ恥ずかしいなこれ……! てか、ずっと俺のことじゃないか。なんかこう、他にすれ違った人でこういうのいいな、とかなかったの?」
「ないが」
「さいですか」
「そもそも興味を持つことが面倒だが」
「うーん、そういうところよくないよ! 周りからの刺激に鈍感になったら感性が鈍っちゃうよ!」
晶ちゃんの中で、かっこいい俺が分かっただけでも儲け物だけど、次は外にかっこいいものを見つけに行こうね。
困ったように笑う巣鴨に、不思議そうに首を傾げる晶。彼女の中では、ほかに基準を設ける必要が全くないのだが、巣鴨がいうのなら二つくらいは外にかっこいいと思えるものを見つけるのはやぶさかではない、という顔をする。
そんな彼女の顔に、巣鴨はなにがきっかけでもいいか、とへらりと苦笑する。感性が鈍ってしまってはいけない仕事に就いている彼からすれば、何にも興味を持つことを億劫だと言い切る晶のそういう感性が面白いのだけれども、多少は自分の色に染め上げたい気持ちがあるのだ。なんといっても、彼も男の子なのだから。
「じゃあ、明日……は明後日仕事だからおうちのあれこれを済ませるとして……来週は動物園に行こうよ。水族館でもいいな。かっこいいとか、かわいいとか、いろいろ分類していこうよ」
「かまわないが」
「よし、決まりね。他に予定いれたりしないでよ」
「誘ってくれる友人が、そもそも雄大ほどいないが」
「悲しいこと言わないでよお……!」
そんなやりとりをしながら、二人は階段を登る。メゾネットタイプのアパートメントを選んだのは、巣鴨の趣味だった。晶は別に二人分の部屋があればどこでもよかったので、彼の好みに従ったのだが、これがなかなかプライベートを切り分けやすい家で気に入っている。巣鴨が友人を呼んだとしても、リビングのある一階部分だけ綺麗にしておけば良いのだから、何も困らないのだ。
二階に上がった二人は、それぞれの部屋に入る。二つ収納が備え付けられている部屋は、物の多い巣鴨の部屋である。物欲が乏しい晶は、腰までの高さのタンスと、カラーボックスが四つ入る正方形の棚だけで十分事足りるのだ。
「それじゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
眠る前の挨拶をした二人は、それぞれの部屋に入る。晶はそのまま充電器にスマートフォンを接続するとベッドに潜り込んだが、巣鴨はベッドに潜り込んだはいいが、そのままスマートフォンで動画サイトを見るのだった。