若い竜が新たに本を書き始めた。
そう自宅までわざわざ足を運んでくれた壮年の竜――竜の壮年も若輩も老年も、ヨナグ族からすれば分からないのだが――から聞かされたマクシミリアンは、そうか、と頷いた。たしかに他の竜語(ドルンノード)の翻訳者よりは竜たちから人気のあるマクシミリアンだが、自分を翻訳者として選んでくれるとは限らないから、その報告に対しては興味の薄い、さっぱりとしたものだった。
その連絡をくれた竜は、彼自身が執筆業をしている竜だった。大小さまざま、多種多様な進化を遂げてきている彼らの中でも、成竜としては小柄な体躯に進化した彼はいろいろな翻訳者がいるから、彼女が君を選ぶかはわからないんだけれどね、とけらけらしている。
向かいの一人用のソファーに腰をおろして笑う竜に、マクシミリアンはスープマグを手にしながら、そりゃあなあ、と苦笑する。アポイントもなく昼食時に突撃してきたこの竜に詫びながら、スープだけすすっているのだ。本当は黄金鶏の卵と森のきのこを使ったオムレツが今日のランチだったはずなのだが。
……閑話休題。
「選んでくれたら、そりゃあ全霊で伝わるように努力するさ」
「マクシミリアンのそういうところ、本当に助かってるんだ。ただでさえ、わたしたちの言語は統一言語とは違うだろう? どうしたって言葉の違いは出てくるのは仕方がないんだけれど……」
「統一言語にない言葉もあるからな……竜語は奥深いから、勉強のし甲斐があって困らんよ」
「そうかい? まあ、わたしたちの言葉は本当に多いと思うよ。いや、統一言語がさっぱりしすぎなんじゃないのかい?」
「そうかもしれんなあ。造語と注釈でだいぶ新しい言葉を生み出してきてる気がするよ、俺も」
「まあ、統一言語はそもそも文字が細かいから、わたしたちの爪では本当に書きにくいんだ!」
それさえなければ、わたしたちだって統一言語で執筆していたんだけれどなあ。
壮年の竜は大きなため息をつく。ヨナグ族を始めとした主要四種族からすれば、それほど細かい文字ではないのだが、竜たちからすれば、彼らの立派な爪からすれば大いに細かい文字だ。線が縦に横に重なり合い、時としては重なって生まれた空間に更に線を加えるのだから、書きにくいことこの上ないのだろう。
そのことをよくよく理解しているマクシミリアンは、まあたしかに竜語は書きやすいか書きにくいかで言えばだいぶ書きやすい言語だよな、と苦笑する。書きやすいのが一番だろ、と笑う竜に、マクシミリアンはまあなんというか、と手元のすっかり空になったスープマグをローテーブルに置き直す。ふわりと香る野菜の匂いに、野菜のスープだ、とりゅうは笑う。
「チズルメルの乾燥固形スープを溶いただけだぞ」
「ええ? でも、あれってあんまりおいしくないんでしょ? 本当に、どうしようもなくて、腹が減って死にそう! っていうときに飲むものだって街の人が言っていたよ。こんなに美味しい香りがするわけないじゃないか」
「本当だって。つか、散々な言い方だな……まあ、たしかに多少ソースだのなんだのは足しているがな」
「ほらぁ! そのままじゃ、到底飲めたものじゃないっていうじゃないか。やっぱりそうなんだね」
うんうんと頷く竜に苦笑しながら、マクシミリアンはまだ乾燥固形スープの素があったかどうかを思い出す。たしか、あと二つぐらいは残っていた気がする。まあ、もっとも、この乾燥固形スープの素はあまりにも美味しくない――それこそ、旅人ぐらいしか買わないものだから、今後買う予定はないし、メイナードも再度入荷する予定はないそうなのだけれども。
「気になるなら飲んでみるか?」
「嫌だよ。美味しくないものを好んで飲みはしないよ」
「そりゃそうだよな。そのままだと、本当に薄い味なんだよな、これ……乾燥で水分が飛ぶんだから、味が濃くなってもいいもんだがな」
「機械技術の不思議だねえ」
「まったくだ」
うなずきながら、マクシミリアンは朝から猟師仲間のところに行ったきり、戻ってこない同居人のことを思考の端にいれる。きっと夜までこの調子だと戻ってこないだろう。この時期は頭に羽のついた巨大兎のネヌフが大繁殖してこのあたりで大暴れするのだ。それを間引きするのは猟師ギルドや冒険者ギルドたちの仕事だ。それはヴォルフガングも含まれる。
おおかた、ネヌフの討伐に関してあれこれ話し合っているのだろう――マクシミリアンは今年も大繁殖してくれて、一家に一羽ぐらい分前が来ないだろうか、などと考える。ヴォルフガングや彼の猟師仲間たちには申し訳ないが。
そんなことを考えながら、マクシミリアンはオムレツ食べるか、と竜に尋ねる。卵は草原牛のかい、と尋ねられて、黄金鶏だよ、と返してやれば、それなら食べるよ、と返事が返ってくる。
「このあたりだと、たしかに草原牛かネァイーウの卵が多いけどなあ」
「あの卵も嫌いじゃないんだけれど、黄金鶏の卵って本当においしいからさあ。てか、よく買えたね? 高いんじゃないの」
「高いぞ。まあ、あの味を味わうとなあ……」
ほかの卵に戻れんよ。
財布が傷んでいることを暗に告げた彼に、竜はからからと笑いながら、もっとお仕事渡せるようにわたしもたくさん執筆しないといけないね、と楽しげに歌うのだった。