料理が趣味である、と公言するヴィンチェンツォにだって、料理をしたくない日というのは存在する。
日頃から栄養バランスがしっかり計算されて、目でも楽しめる鮮やかな料理を作っているだけでは疲れてしまうのもあるが、純粋に自分一人に作る料理にそこまでの手間と暇をかけたくない日があるのだ。愛しい恋人のためなら疲れていてもおいしい食卓を用意できるのだが、夏の暑さからくる疲れも出てきた今日は、どうにもならない日であった。
日本独特のむわりとしたじめじめする暑さは、何年日本に住んでいても慣れるものじゃないな、と辟易する。からり、と晴れ渡った夏空でも、どこか高い湿気を感じるのだ。じわじわと汗が生まれていくから、余計に湿度を感じるのも不快指数を上げている。
不快指数が高く、疲れも出ているときに、几帳面に食事を作れるほど、ヴィンチェンツォ・ガブリエーレ・フェッリーニはできた男ではなかった。
「アヤセも寝ているし……朝は適当でもいいかな」
絢瀬が寝ている最大の原因は、昨晩の自分にあるのだけれども、そこは棚上げしてヴィンチェンツォは冷蔵庫から卵を二つ取り出す。もう空になった卵ケースに、今日の買い出しで買い足しておこう、と脳内にメモをする。卵をボウルに割り入れると、菜箸でかき混ぜる。かしゃかしゃとかき混ぜながら、炊飯器から昨晩炊いた米を適当にしゃもじで掬う。このぐらいかな、と米をボウルに放り込むと、塩胡椒を適当に振りかける。
なにもかもが適当の目分量だが、自分のためだけに作る食事なんて、だいたいが適当である。食べられればいいのだ。
塩と胡椒が少し多すぎたかな、と思いつつも、粉末の鶏ガラスープの素を入れる。計量スプーンで測ることなど当然しない。口を開けて、ざっ、と適当に入れる。これもまた、少し多いのではないか、と絢瀬がこの場にいたら言うかもしれない量を入れてしまったが、味が濃い分にはおいしく食べられるだろう……ヴィンチェンツォそう自身を納得させて、かしゃかしゃと菜箸でボウルの中身をかき混ぜる。
換気扇を回して、フライパンをあたためる。チャーハンを作るときはごま油で作る。そう決めているのがヴィンチェンツォだ。別に不快こだわりはないが、なんとなくチャーハンによく合う香りがするから、というのが理由である。
「あとは火を通して……と」
温まったフライパンにボウルの中身を全ていれる。具材はない。卵かけご飯を炒めただけの簡単なチャーハン……もどきだ。強火で一気に火を通して、ついでにもう少しだけ、と粉末スープを振りかける。全体に味が行き渡ったか、味見をすることもなく火を止める。
適当な皿に盛り付けると、行儀は悪いがシンクに立ったまま、スプーンでぱらぱらの米を口に入れる。少し味が濃いが、このぐらいがちょうどよく食欲をそそる物である。適当に作った割りには、なかなか上手に出来たのではないか、と自己満足をしていると、がちゃりと扉が開かれる。眠そうな顔をした絢瀬が入ってきた。顔は洗ってきたらしいが、まだどこか眠たげにしているのは、昨晩ヴィンチェンツォが無茶をさせたからだろう。
「チャオ、アヤセ。眠そうだね」
「チャオ、ヴィンス……誰のせいかしらね」
「ふふ、私だろう?」
「あなた以外に誰がいるのかしら……ふあ……良いにおいがするわね?」
「ああ、これだね……ごめん、私の分しかないんだ。アヤセの分も作ろうか?」
「大丈夫。朝からお米が入る気がしないもの……」
冷蔵庫のパンを温めて食べるわ。
そう告げた彼女に、じゃあコーヒーぐらい用意するよ、とヴィンチェンツォはエスプレッソマシンの電源をつける。ドリップコーヒーを抽出するモードにすると、絢瀬専用のマグカップをセットする。
静かに抽出されるコーヒーの香りを嗅ぎながら、絢瀬はパンをオーブントースターに並べる。小食な絢瀬なら一つで十分だろう、ロールパンが二つも並んでいることに、ヴィンチェンツォは首をかしげながら問いかける。
「二つも食べるのかい?」
「一つはあなたのよ。それとも、チャーハンだけで十分だったかしら?」
「パン一つぐらいなら十分食べられるよ。嬉しいな、私のことを考えてくれたんだね」
「ふふ、どうかしらね」
たまたまあとパンが二つしかなかったから、かもしれないわよ。
そうイタズラっぽく告げてくる絢瀬に、そうだとしても嬉しいよ、とヴィンチェンツォが空になった皿をシンクに置いて絢瀬を後ろから抱きしめた。