title by 蝋梅(https://roubai.amebaownd.com/)
ぐるるるる。
可愛らしい小型犬は、牙を剥き出しにして、喉を鳴らして唸り声をあげている。飼い主らしい老婆は、そんな愛玩動物にあらあらと困った顔をしている。
体勢を低くし、唇をめくって歯を剥き出しにする。背中の毛を逆立てることまでして、最上級の威嚇の姿勢を見せる小型犬に、千種川はちらと一瞥するだけで去っていく。そんな彼の背中に、真っ白でふわふわな小型犬はぎゃんぎゃんと数度吠える。まるで飼い主の老婆を守るように。
そんな一幕を隣で見ていた優は、犬に嫌われるんだ、と何でもないことのように呟く。実際、彼女にはなんでもないことであるからだ。
「ええ。やはり、地球人の形をとっていても、彼らには分かるようでして」
「あー、あんたが宇宙から来てるって? ええと、なんだっけ。ウィスヤ、って機関からだっけ」
「地球の言語で近い言葉に置き直したら、ウィスヤになります。実際には違う言葉ですし、なにより地球の発声器官では音にもなりません」
淡々と語る千種川。彼に向かって吠えていた鳴き声も聞こえないくらい遠くにくると、今度は人の喧騒が聞こえてくる。
街の中心にむかって歩を進めながら、優は話を続ける。
「ふーん。で、犬はあんたが人間じゃないって気がついてるわけだ。やっぱり、飼われていても五感は人間よりも発達してる、ってことなのかな」
「そうなのでしょうね。事実、地球に訪れた機関のメンバーの全員が犬をはじめ、動物類から嫌われているようです」
「……それはそれで怪しまれない? 乗り替わる前なら、動物に好かれていた人もいるんじゃないの?」
「まあ、そうですね。ただ、大怪我をした人間を精神転移の対象としているので、そこまで怪しまれないものですよ。あれほどの怪我をしたから色々変わったのだろう、と勝手に納得していただけます」
「ああ……なるほどね。たしかに怪我をしてるんだから、その後突然動物に嫌われるようになっても、怪我がきっかけだって勘違いするのも仕方ないか」
「ただ、この場合困ることもありますけどね」
ふう、と一つため息を吐いてから、千種川は口を開く。あまり困っていないでしょ、と思いながら、優は何に困るのよ、と尋ねる。
「青木をご存知でしたね。彼は元の借り受けた人間の精神を保持したまま、活動を行なっているのは彼から説明を受けていましたね」
「ん? うん、青木さんね。家庭と仕事でお互いに分担しているって言っていたっけな」
「ええ。彼のように、特定の場合では動物に好かれるが、特定の場合は嫌われるとなると、言い訳がしにくいようでして」
「へえ。てっきり入っちゃってるから、全部嫌われている状態になるんだと思っていたけど、そういうこともあるんだ」
「彼の場合、家庭を任せている主人格に移行しているときは、元の人格の奥底に潜み、得た情報の精査をしているらしいので、動物に感知されないのでしょう」
「ああ、感知できないほど沈み込んでるから、完全にヒトだと思われてるのか。なるほどね」
理解できた、と言った顔で優が頷くと、千種川はおそらく母星の生命体を持ち込んだら彼らも同じような反応をするのでしょうね、と興味深そうに頷く。その一言で、彼の言わんとすることを察した優は、あたしがあんたの星に行っても同じことになるんだろうね、とからからと笑う。
「前に言ってたでしょ、あんたの星、精神だけなら連れて行けるって。あ、でも体がないから動物に知覚されないのかな」
「対話ができるように、専用の装置に入れて搬送する予定しますが……ふむ、確かに精神だけのときは知覚できるのでしょうか。疑問ですね」
「あんたたちの動物に嫌われるのだって、体があって、そこに精神が入ってるから起きてるわけじゃん。完全に精神だけだと、そもそも見えないんだし、においもないんだし、わからなさそうではあるよね」
「……実験してみますか」
「……は?」
「いえ、あなたに迷惑はかけません。夜の間に精神だけを分離させて、近隣を歩いてみようかと」
こともなげに言ってのける千種川に、優は目を瞬かせるばかりだ。まるで理解ができない、と言わんばかりである。
あー、うー。言葉になっていない音を口から漏らして考えていた彼女は、はあ、と大きめのため息を吐くと、首筋を掻きながら告げる。
「まあ……どんな結果になるのか気になるから、結果だけ教えて」
「ええ。レポートにまとめて渡しましょう」
「いや、そこまでじゃなくても……ああ、でもどうせ詳細を聞くんだったら、最初からレポートもらったほうがいいのかな……」
うーん、と首を捻りながら優は悩む。そんな彼女に、千種川は不思議そうに首を傾げる。そもそも彼女の発言が元で行う実験なのだから、彼女には全てを知る資格があるだろう。そう言わんばかりの目の色をしていた。